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食べることは生きること

食の安全、食育、調味料へのこだわり、たまに育児の話。

食文化のらせん進化の考察 ~玄米食と鎖国の関連性~

 

最近、私が寝かせ玄米を食べるようになり、私の主食は寝かせ玄米、子どもたちの主食は白米、主人は副菜に合わせて寝かせ玄米だったり白米だったり、という食生活を送っています。

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もともと大人たちには健康を配慮して玄米食、子どもたちには消化の面を考慮して白米にしよう、と思ったのがきっかけですが、玄米だと副菜によって合う合わないがあるんですよね。

例えば、アジの蒲焼きには玄米が合うけれど、アジフライには白米の方が合う、など同じ食材でも調理法によって合う合わないがあったりするのです。

 

どうしてでしょう?

少し検証してみたいと思います。

 

まずは玄米を見てみたいと思います。

玄米に合う副菜は基本的に和食。

焼き魚、漬け物などが玄米食に合う副菜と言えます。

逆にステーキなどの洋食メニューはあまり玄米に合いませんよね。

主食を玄米にこだわろうとすると、どうしても副菜は和食の粗食になってしまいます。

 

お次は白米。

白米はある意味素晴らしい食材で、副菜が何であれ基本的に合わせることができます。

魚の照り焼き、肉じゃがなどの和食やハンバーグ、ステーキ、白身魚のソテーなどの洋食にも合います。

白米に合わない副菜は思いつかなかったので、そのような献立があったら教えてもらいたいくらいです。

 

しかも、炭水化物×炭水化物でもありなのが、白米のすごいところ。

外食でもよくありますよね。

セットメニューで、ラーメン+白米だったり、お好み焼き+白米などはよく目にしたりもします。

 

上記をまとめると、主食によって合う副菜は、

 白米・・・何にでも合わせられる

 玄米・・・焼き魚、煮魚、野菜(漬け物)など

 

これらから、主食となる食材の性質をみてみると、

 白米・・・何にでも合わせられる。

 玄米・・・合う料理が限定される。基本的に油脂と合わない。

ということが言えそうです。

 

人体のパーツと形が似ている食品がその似ている器官に特に健康効果をもたらす、という話もありますが、

minnakenko.jp

これと同じことで、食材と同じような性質を食べた人の精神に与えるということもあるのかもしれません。

 

さて、気になるのが、

・白米は何にでも合わせられる。

・玄米は合う料理が低脂質のものに限定される。

といったところ。

なにやら玄米食と江戸時代の鎖国に似たような性質を感じてしまうのは私だけでしょうか?

 

そこで、いつから白米が食べられるようになったのかググってみました。

okwave.jp

稲作が始まった頃(紀元前:弥生時代)は玄米を食べていました。これは、考古学的な発掘調査ではっきりしています。

また、奈良・平安の頃の貴族の食事を見ると、「強飯」(こわいい)と言い、玄米を蒸したものが食べられていたことが分かります。それが平安中期頃から次第に固粥(かたかゆ)という水分を多くした現在の炊き方に近い米の食べ方が好まれるようになり、さらに姫飯(ひめいい)という精米して、炊いた米が食べられるようになったのです。

つまり、元々は玄米が普通に食べられており、それが段々白米に移行していったというのが事実でしょう。ただし、これは貴族の食事で鎌倉・室町時代の武士は玄米を普通に食べていたようです。もちろん庶民も同様です。

>年貢として納められる米は確か白米

いいえ、玄米です。ですから、江戸には米搗き屋という商売がありました。これは江戸中期頃から出たようですが、玄米を手間賃を取って搗いて精米する商売です。田舎の方では昭和30年代まで普通にありましたよ。

白米が全国で普通に食べられるようになったのは、明治末期です。もちろん、「江戸わずらい」という言葉がある通り、江戸では白米が普通でしたが、それは江戸という街だけの特殊な事情だからこそ「江戸」「わずらい」なのです。

ということは、江戸初期頃までは江戸の庶民も玄米食が中心でしたが、江戸中期頃から段々白米に以降していき、江戸末期には白米が普通になっていたと考えられそうです。

 

では、日本はなぜ鎖国という政策をとったのでしょう?

idea1616.com

それでは、日本が鎖国という政策をとった理由をみていきましょう。これは、大きく分けて2つになると考えられます。

  1. ポルトガル、スペインの排除
  2. キリスト教の禁止

の2つです。それぞれについて考えます。

(中略)

幕府としては、この2国の領土拡大に対する野心を嫌い、徹底的な排除を行なったのです。また、どちらの国もカトリック教を布教しながら領土を拡大していたことは、次項と強く結びついています。

キリスト教は、1549年のフランシスコ・ザビエルの来日以来、宣教師たちの布教によって、九州を中心に広まっていきました。そして、キリシタン大名の増加などもあり、幕府はキリスト教徒が大勢力となって敵対することを危惧するようになりました。

1612年には禁教令を出していましたが、その後に決定的な出来事がありました。1637年に起こった島原の乱です。幕府が恐れていたことが実現してしまったので、以後は徹底的な弾圧を行ないました。

島原の乱は、島原・天草の乱、または島原・天草一揆とも呼ばれる、日本の歴史上において最大規模の一揆でした。

 

幕府にとってこの一揆は、ポルトガルとスペインの領土的野心を警戒させる以外の何物でもありませんでした。この島原の乱は、幕府の鎖国政策を加速させることになったのです。

幕府は、鎖国することによって、キリスト教をごり押ししつつ領土拡大を狙うポルトガルとスペインは排除したかった。

けれども、限定的でも中国やオランダとの交易を続けてたことからも、完全に日本国内に引きこもりたかったわけではないところがうかがえます。

 

先に、

・白米は何にでも合わせられる。

・玄米は合う料理が低脂質のものに限定される。

と書きました。

 

鎖国当初は白米が食べれたのは、ごく一部の限られた身分の人たちです。

ほとんどの人は日常的に玄米を食べていたと考えられます。

 

米食の性質

・合う料理が特定のものに限定される。

鎖国の性質

・交易は特定の国に限定された。

 

自身にとって好ましくないものは排除しつつ、好ましいもののみを受け入れる(合う)という性質。

なんだか似ていると思いませんか?

 

そして、ペリーが来航したのが、江戸末期の1853年。

再来航し、日米和親条約が締結され、事実上、鎖国が解かれたのが1854年。

この頃の江戸庶民の主食は白米。

 

白米の性質は、

・何にでも合わせられる。

でしたよね。

 

なので、もともと玄米を常食していた日本人。

その集合体である「日本」という国を一つの生命体であると考えるならば、もともと「日本」という生命体は、自身にとって好ましくないものは排除しつつ、好ましいもののみを受け入れるという性質だったと考えられます。

 

ですが、精製技術が向上し白米を常食するようになって、白米の「何にでも合わせられる」という性質が、日本人の「何にでも合わせられる」という性質に繋がり、日本という生命体の「何でも受け入れる」「何にでも合わせられる」という性質につながっていきました。それが日米和新条約の締結、ひいては明治時代の文明開化につながっていったのではないかと考えられます。

 

これは、第二次世界大戦以前では敗戦した経験がなかったことからもうかがえます。

例えば、鎌倉時代元寇ですが、

 1274年の文永の役

 1281年の弘安の役

と二度も他民族に侵略されそうになってますよね。

これらの危機も神風が吹いて免れた、というのはあまりにも有名な話ですよね。

 

最近の研究では、元寇の勝因は神風ではなく鎌倉武士が頑張ったという説もあるようですが、

bushoojapan.com

最終的には天候悪化で侵略を諦めたということなので、やはり、侵略は断固拒否という日本の強い意思を感じられます。

 

なのに、なぜ、日米和親条約を締結し、西洋文化を全面的に受け入れてしまったのでしょう。

そこには、やはり白米を常食するようになったことが無関係ではないと思います。

では、なぜ「日本」が白米の常食を許したか、ということですが、玄米より白米の方がおいしいからとか、

お米の歴史を学ぶ | 全国のお米生産農家が集まるお米通販サイト - おこめナビ - 合鴨米・無農薬玄米等販売

当時の玄米食(炊飯)は、薪(まき)で玄米を炊いていました。 玄米を炊飯するためには、たくさんの薪が必要でした。 地方に住む人は薪を自給出来ましたが、都市部に住む人は薪を購入しないといけなかった為、玄米よりも薪が少なく・ふっくら炊ける白米を好むようになりました。

とかいろいろな説がありますが、前記事でも書いた「物事はらせん的に進化する」という観点から考察すると、

primavera-rose1108.hatenablog.com

「白米食」は「玄米が進化するために必要だった」ということになりそうです。

 

これは、その後のパンやパスタ、ラーメンなどの小麦食の普及にも言えることで、これらが普及してからこその

「やっぱり玄米が日本人の体質に一番合っているのでは」

「じゃあ、玄米をより美味しく食べるにはどうすればいいんだろう?」

と見直され、食べ方も工夫改良されていますよね。

 

現に、私自身「玄米ごはん」をこれからずっと続けろといわれたら「ゴメンナサイ」とすぐに白旗あげますが、進化形の「寝かせ玄米」だったら続けられそうです。

ですから、「白米食」も「小麦食」も、適切な表現ではないのかもしれませんが、ある意味「必要悪」だったのかもしれません。

 

よく戦後のパンの普及はGHQの陰謀だ、なんて陰謀説を唱える人もいますが、

karada465b.minibird.jp

2000年以上ある歴史の中で日本人が日常的にパンを食べ始めたのは、

戦後に入ってからのことです。

 

70年ほど前から、

日本人は今まで食べていなかったパンを

日常的に食べるようになりました。

 

これは日本人の食生活の歴史上、特筆すべき出来事です。

ですが、日本人が日常的に白米を食べ始めたのは明治時代に入ってからのことで、たかだか150年くらいしか経っていないんですよね。。。

そして、白米食の普及も小麦食の普及も「進化のための必要悪」で、日本そのものが引き起こしたこと、と考えています。

 

かくいく私も、これからは一生、完全に玄米食オンリーで、といわれたら少し寂しい気もします。

基本は玄米菜食で、だけど、時には身体に刺激を与える意味で、いわゆる快楽食も楽しみたいものですね。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。