病に倒れた遠方の父を思い、より丁寧な暮らしを重ねることに思いを馳せる。
それは一本の電話から始まった
1ヶ月ほど前のある暑い日の昼下がり。
めったに電話など掛けてこない遠方在住の母から、突然電話がかかってきました。
母「実は・・・お父さんがガンで・・・」
私「・・・えっ?」
母の言葉は私にとっては全くの寝耳に水の話で、初めは何を言ってるのかさっぱりわかりませんでした。
だけど、よくよく話を聞いていると、なんだか調子がよくないな~と思った父は念のため近所の総合病院で診てもらったところ、
- 胃がん(ステージⅠ)
- 舌がん(ステージⅣ)
ということが判明したとのこと。
父も母も想定外のことに、ただただ驚いたそうです。
その数日後、まずは胃がんの内視鏡切除を行い、それは無事に終了。
ですが、問題は舌がんです。
リンパ節から肺にまで広がっていたら、もう手の施しようがないとのこと。
あぁ、ついにこの時が来てしまったか。。。
私の父は若い頃からヘビースモーカーの大酒飲みでした。今でこそ禁煙は続けていますが、お酒だけはどうしても止められず、つい最近まで、一升瓶を三日で空けていたそうです。
いつかはこうなる日が来ると家族の誰もが予想してました。
だけど、現実のものとなるとやはり落ち着かないものです。
父の緊急連絡先の二番目が私の携帯ということもあってか、最近では、「お父さんが・・・」という電話がかかってきて、はっとして起きる、そんな夢を何度も見るようになってしまいました。
父の退職後、田舎暮らしを始めた両親
私の母の実家は私が生まれ育った町から高速で7時間のところにある田舎の農村地帯。周囲には田んぼや畑しかないようなところです。空気は綺麗だし、夜に見上げた夜空はまるで宝石をちりばめたよう。
周りに遮る物が何もないため遠方の花火大会も自宅で充分に楽しめるというロケーション的には申し分ありません。
ですが、隣の住宅に足を運ぶのも少なくとも100歩くらい歩く必要があるし、バスも1時間に一本くらい。電車に乗るにもバスで駅まで行く必要がありますし、交通の便はあまりいいとはいえません。
また、交通の便が悪いと言うことにも繋がりますが、日々の買い物もすごく大変!
近くにコンビニがあるとはいえ、そこでは買えないけど必要だしかさばる物(トイレットペーパーとか猫のエサとか)が欲しいときには数キロ先の大型ショッピングモールまで行く必要があります。
更に、田舎暮らしはご近所つきあいがいいというイメージもあるし、その通りでもあるけれど、ご近所同士のつきあいが密だからこそ味わう苦労もあったようです。
どこか引きこもりがちな私には田舎暮らしは難しいな~と両親を見ていて思っていました。
母方の祖父母が亡くなった後、その土地と建物を相続したのは私の母。
父は定年退職後、再就職しましたがそれも2年で退職し、その後、夫婦二人で母の出身地に移住しました。約4年前のことでした。
父の病状
胃がん切除手術後の再検査の結果、父の舌がんはやはりリンパ節まで広がっているとのことでした。
近所の総合病院ではもう手に負えないということで、自宅から車で1時間ほどのところにある大学病院への転院が決まりました。
身動きが取れなくなるかもしれない母
田舎暮らしで車が必須という場所に住んでいるにもかかわらず、母は全くのペーパードライバー。
大学病院に入院となった場合、着替えなどのお世話をしにいくにも、バスと電車を乗り継ぎ片道数時間かけていく必要があります。
また、それ以前に普段の買い物も。
今までは父がドライバーとして母を大型ショッピングモールに連れて行ってました。
だけど、父が入院したら誰が母を買い物に連れて行くのでしょう?
近所に母の友人が住んでいるとはいえ、毎回頼むわけにはいきません。
そのことについて、軽く嫌味も言われたそうです。
子どもたちはというと私は三姉妹で、妹が二人いますが、
- 長女(私)・・・両親から高速で7時間の距離に在住。小1と1歳児の育児中。
- 次女・・・私と同じく両親から高速で7時間の距離に在住。3歳児が1人+妊娠中。
- 三女・・・両親から高速で4時間の距離に在住。小2と4歳児の育児中。ペーパードライバー。
と全員両親から離れたところに在住で、当然それぞれの生活もあります。
もし、父に万が一のことがあっても、誰もすぐには駆けつけることができません。
もちろん、母ですらも。
今、これを言うのは不謹慎かもしれませんが、誰も父の死に目に会えないかもしれないのです。それを父はどう捉えているのでしょう?
娘の世話にはなりたくない頑固親父
幸い、私の自宅には空いている部屋が一部屋あります。
私が住んでいる地域の大学病院に父が転院してくれたら、私が母の送り迎えもできるし、何かあってもすぐに駆けつけることができます。
もちろん、私も妹たちも母を通して父にこちらに戻ってくるよう伝えました。
でも、父の答えは「NO」
父は定年退職後、母の生家に移住しようと思った頃から、「何があっても娘たちの世話にはならない」「夫婦二人で乗り越えていく」と決めていたそうです。
父は口数こそは少ないけれど、一度口に出したことは決して覆さない、という頑固なところもあります。
きっと、他の家族が何を言っても、今更聞いてくれることはないでしょう。
家族が誰も自分の死に目に会えない、ということは既に織り込み済みなのかもしれません。
ともなれば、説得するのも時間の無駄というもの。
正直、こちらに来てくれた方が精神的にも経済的にも負担は少ないというのは現実問題としてありますが、本人の意向に沿うしかありません。
母の負担
父はいつでも自分がしたいことが最優先で私たち娘の動向にはあまり関心がありませんでした。妹の三女に至っては大学受験の際、何処の大学を受験したのかすら全く知らなかったのです。
正直、冷たいかもしれませんが、父に関しては「そう思うなら勝手にすれば」という思いでいます。
だけど気になるのはやっぱり母のこと。
普段気の強い母も電話の際、「手術の時くらい誰かがそばにいてくれたら・・・と正直、思うけど・・・」と少し気弱になってました。
そりゃそうですよね。
50年近くもの長きにわたり連れ添った相手が、この先どうなるのか、という分岐点において、老女が1人で抱えるにはあまりに問題が大きすぎます。
だけど、父の意向が「何があっても娘たちの世話にはならない」「夫婦二人で乗り越えていく」、そしてそれに従うのが母の意向であるならば、もはや私たち娘にはどうすることもできません。
ただただ、遠くより成り行きを見守るのみです。
残された母の問題
もちろん、主人ともこのことについて話し合いました。
父に関しては、父の望むようにするしかないのでしょう。
ただ、これまた今言うのは不謹慎なのかもしれませんが、もし、父に万が一があった場合、残された母をどうするのか、という問題が残ります。
人が亡くなること前提で話を進めることはいかがなものか?という気もしますが、互いに気持ちのいい余生を過ごすためにも、当然考えておく必要があります。
足のない老女が田舎での一人暮らし。
何かあっても家族の誰も駆けつけることも、連絡が途絶えたとしても気軽に様子を見にいくこともできません。
母の生家は全て処分して、母には私の自宅で余生を過ごしてもらう、というのが一番のような気がします。
でも、残念ながらここでもスムーズには話がいきません。
というのも、母には高齢の愛猫がおり、彼をどうするのか、という問題が残るのです。
私の自宅には仏壇に大切な、大切な人の遺骨を安置しています。数年以内にされる予定の墓地分譲を待っているからですが、そこだけはいくら母の大切な猫とはいえ荒らされたくはありません。
次女宅は先月完成したばかりの新築で、三女宅は飲食店なので問題外。
誰も母の愛猫を受け入れることが出来ないのです。
では、どうすれば一番いいのでしょう?
もちろん、これも私たちがどうこう出来る問題ではありません。
当然、母の意向に沿うしかないのです。
私たちは起こりうる全ての状況を想定しつつ、ただ成り行きを見守ることしかできないのです。
両親が抱えた問題を通じて、今、私が思うこと
今ここで、父の半生を振り返ってみて、ささやかだけど幸せな人生だったんじゃないかな、と思ったりもします。
出世や金儲けに全く興味のなかった父。
地方公務員の技術職だった父は、ずっと本人が望む仕事をしていました。
そして、最後の最後に希望が通り、一番就きたかった場所へ勤務することに。
サラリーマンでも「好きなことをしながら生きていく」ことが可能なのは、私は父から教わりました。
私たち娘には関心が薄かったとはいえ、男兄弟ばかりの中で育ってきた父にしたら、思春期以降の娘に接するには照れが大きかったのかもしれません。
「何があっても娘たちの世話にはならない」「夫婦二人で乗り越えていく」というのも、父なりの愛情表現なのかもしれないのです。
自分ががんで余命いくばくもない、となった時に遠方在住の娘たちが孫を連れて全員集合するのです。
主人から「前々から思っていたけど、家族仲がすごくいいんだね。距離も距離だし、なかなかないことだと思う」といわれ、始めて家族仲がよかったことに気がつきました。
私はもう二度とないのかもしれないから当然のこと、と思ってましたが、やはりどこかで父も母もそれなりに私たち娘のことを大切に思ってきてくれたからこそのことなのでしょうね。
では、私はどうでしょう?
主人に対しては、いい妻でいたい、という思いが強すぎて、どこか無理を重ねているところがあります。
では、子どもたちに対しては?
本人の才能がどこにあるのかわからないのだから、とりあえず好きなようにさせたい、とは思いつつも、やっぱり「早くしなさい」などの小言が増えてきてます。
そして、今までどこかガツガツしたところがありました。
正直、プロブロガーとしてブログ飯を食えるようになったら、と砂糖よりも甘い夢を見てたところもあります。
でも現状は・・・。
だとしたら、今の私に出来ることは、食を通じた家族の健康管理、家族が心地よく過ごせる住まいの維持、そして、何よりも、子どもたちへゆとりを持って接し1人1人ときちんと向き合うこと。
妻として母として出来ることは、それだけじゃないかとここに来て思うのです。