身体に優しいパンとスイーツ

身体に優しいパンとスイーツ

米粉や希少糖を使って美味しいパンやスイーツが作れるか実験中

「ハレ」の日と「ケ」の日のメリハリが大切

友人に「どうしても譲れないモノって何?」と聞かれて、私の内側から出てきた答えは「調味料は本物を使うこと」

和食の調味料は言わずもがな、「さ(砂糖)・し(塩)・す(酢)・せ(醤油)・そ(味噌)」ですが、昔ながらの製法で醸造された「す・せ・そ」はいわゆる発酵食品ですよね。

 

「さ」を文字通り「砂糖」とみるのではなく「甘み」「甘味料」と置き換えるなら、甘酒やみりんも昔ながらの製法で造られたものは発酵食品。

甘酒も

・米糀からつくる製法(米と糀を発酵させて作る。ノンアルコール)

酒粕からつくる製法(酒粕に砂糖を加えて作る。アルコールを含む)

と二種類ありますが、酒粕からつくる製法は砂糖とアルコールが含まれているので、当然、砂糖代わりの調味料としては使用できません。

だけど、米糀から作られた甘酒は甘糀とも甘麹ともいい、塩麹同様、料理に使うことができるのです。

 

また、塩も昨今の健康ブームで話題となった塩麹も「塩」とみるなら、「し」も発酵食品としてみることができますよね。

ということは、ちょっと強引かもしれませんが、和食の基本調味料は全て発酵食品と見ることもできるのです。

 

それはさておき、私が住む石川県は発酵食品文化が盛んな地域で、能登のいしるやなれずし、金沢のかぶら寿しや大野醤油、加賀のふぐの卵巣の糠漬け、白山麓の菊酒など多様な発酵食が浸透しています。

元々、実母が食に関心があったことと、発酵食が浸透している地域に住んでいること、子どものの病気や赤ちゃんの時に亡くした子がいることなど個人的な理由もあって、食べることと命をつなぐことに深い関心があるのかもしれません。

 

さてさて、週末に「新一年生になった孫の顔が見たい」と、3年ほど前にうどん県に移住した実両親が遊びに来ていました。

まずは「魚醤が欲しい」との実母の声に、金沢・大野のヤマト醤油味噌のひしほ蔵へいき、醤油ソフト&玄米ソフトを堪能。

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(画像出典:食べログ 左:醤油ソフト、右:玄米ソフトだそう。)

醤油ソフトはキャラメルのような味でとても美味。

玄米ソフトはどこに玄米が使われているのかよくわかんないけど、良質の甘酒のような味がしました。

玄米甘酒の豆乳割も試飲できたけど、やっぱり米麹甘酒の豆乳割は美味しい♡

 

砂糖を極力使いたくない私は、以前は米麹から甘酒を作って砂糖代わりに使っていました。

米麹甘酒の豆乳割がすごく美味しかったんですよね。

でも、昨年だったか、若杉ばーちゃんの講演会に行ったときに、「甘酒も豆乳も陰性の食品だから体冷やすよ」みたいなことをおっしゃられて、それからてっきり甘酒をつくらくなってしまいました。

だけど、私にとっての甘酒はもともと砂糖代わりにしたくて作り始めたもの。砂糖を使うくらいなら甘酒を使おう、くらいの位置付けでもいいのかもしれません。

 

そして、この日初めて気づいたのですが、「こうじ」って、麹と糀の二種類があるんですよね。

その違いについて、マルコメのHPに記載されていたものがわかりやすかったので、引用させてもらうと、

「糀」……日本で作られた国字。米にコウジカビが「花が咲くように生える様子」から生まれた漢字。
「麹」……中国から来た漢字。穀物を蒸して麹菌(コウジカビ)を繁殖させたもの。

 だそうです。

 

日本語っておもしろいですよね。

麹の原料となる穀物には米・麦・豆などがありますが、その中でも「米麹」だけは「糀」という別の漢字も当てられるほど、日本人にとって「米」は特別な食べ物ということ。

そういえば、神棚にお供えするのも、麦や豆ではなく「米」ですもんね。

ということは、やっぱり「米」をいただくということは、日本人の精神性に深く影響していそうです。

 

ここ数年、発酵食品が身体にいいということで、やれ、ヨーグルトを食べましょうだの、チーズを食べましょうだの言われていますが、やっぱり日本人の身体に合うのは、醤油や味噌、酢、糠漬け、酒粕、納豆などの古来から食べられてきたもののような気がします。

甘酒なんて古墳時代から飲まれてきたものだそうで、陰だか陽だかよくわかりませんけど、身体に悪いわけないですものね。

 

それ以前に、私が食に対してこだわりたいのが、快楽を満たすために食べるのではなく命をつなぐために食べるということ。

そして、食事をとるということは、こちらにも書きましたが、

primavera-rose1108.hatenablog.com

他の生物の生命エネルギーをとりいれ、そのエネルギーを素に命をつないでいると言えるのです。

であるなら、食卓が楽しいものであるということは大前提ですが、その上で、健康で活き活きとした生活をおくるためには、高い生命エネルギーを持つ食品を取り入れたい、そして、そのような食卓を子どもたちに提供していきたいのです。

 

身体は資本といいますが、身体の調子が好調であるからハイパフォーマンスが出せるというもの。

風邪を引いたり、寝不足や二日酔いなんかのときに、いい仕事やいいアイデアなんて出てきませんものね。

だとしたら、子どもたちが将来世に提供していくことが何であれ、本来持った能力や才能を最大限に活かすためには、幼少期から高い生命エネルギーも持つ食品を取り入れて、身体の調子を最大限に整えてあげることが必要だと考えています。

 

だけど、一般にスーパーなどで販売されているもののほとんどは、残念ながら高い生命エネルギーを持つとは言えないものばかり。

「美味い・簡単・安い」をモットーに、工場で大量生産されている食品たちは確かに「美味い・簡単・安い」なのかもしれません。

 

だけど、そもそも私たちはなんのために食事を採り生命を維持しているかというと、生物学的には「命を次世代につなぐため」「種を次世代に残すため」ではないでしょうか?

だとしたら、快楽のために食べたいモノをむさぼり食らう、その欲求を満たすために「美味い・簡単・安い」を追求する消費者や企業のあり方にも疑問を感じずにはいられないのです。

 

よく食の安全について本を読んだりググってみたりもしてますが、欧米諸国では禁止されているような添加物を容認している行政が悪いだの、そのような食品を提供する企業が悪いだの、そのような話もよく見聞きします。

でも、それを望んでいるのは「美味い・簡単・安い」という快楽を満たしたい私たち消費者。行政や企業はそれを満たしているだけ、という見方も出来るのです。

 

そして、身体はほんと正直で、そんな「美味い・簡単・安い」を消費者が望み、それにこたえるカタチで企業がそのような食品を大量生産し、それを消費していった結果、ガンなどの生活習慣病や些細なことでキレる人たちが増えてきたこと、子どものアトピー発達障害不妊などの「命をつなげない」現象が起きているのではないかと考えています。

 

とはいえ、健康的な生活を送るためにも、もう一生、好きなモノを食べてはいけないんですか?と聞かれたら、そんなことはありません。

昔の人たちは、お祭りやお祝いごとがある日は「ハレ」の日、それ以外の日常生活は「ケ」の日として、メリハリをつけてたんですよね。

 

それと同じで、普段は「命をつなぐための質素な食事」、お祝い事などがあるときは思いっきり贅沢をして「質のいい美味しいモノを少量いただく」でいいのではないでしょうか?

 

そして、普段の「命をつなぐための質素な食事」を支えるのが、「本物のさしすせそ(調味料)」

工場で機械的に合成されたものではなく、微生物の自然の力で作られた「本物の調味料」には高い生命エネルギーが宿り、それを身体に取り入れることで、より高いパフォーマンスを望めると期待するからです。

 

ではなぜ、私たち日本人は「美味い・簡単・安い」という快楽を望むようになったのでしょう?

 

個人的には、第二次世界大戦後、米を食べなくなったことがその一因ではないかと考えていますが、長くなってしまったのでその考察は後日、改めたいと思います。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。